明治天皇行在所山中邸址
石碑について
明治天皇が関西行幸の際に立ち寄った山中邸の邸宅跡を記念した石標が京都府によって建てられている。
明治10(1877)年、明治天皇の関西行幸が行われた。この行幸は西南戦争勃発のため長期化し、京都には1月28日~2月6日・2月16日~7月28日に滞在。2月18日、天龍寺・梅津・桂方面へ行幸し、この地にあった山中献(まつる)(1822~85、信天翁)の対嵐山房で昼食をとった。山中献は、書面・詩文に優れたことで知られる幕末の志士であり、明治維新後は官吏となっていたが、当時はこの地に隠棲していた。この石標は、明治天皇が立ち寄った山中邸の邸宅跡を示すものである。
昭和10年3月 京都府建之
史跡としての「らんざん」
大堰離宮(おおいのりきゅう)跡推定地として
長岡京から平安京への遷都を行った事で知られる、桓武天皇(在位781-806)が度々行幸(ぎょうこう)された大堰離宮(「日本紀略」参照)の立地場所と推定されています。
1988年に当該敷地内で行われた発掘調査では、平安時代前期の遺物を伴う園池跡が見つかり、大堰離宮跡である可能性が高いとされました。
名勝嵐山
桂川の嵐山周辺を大堰川、その一帯が大堰とよばれています。
平安時代の初期からこの近辺は景勝地とされ、多くの皇族・貴族は好んでこの地を訪れ、船を浮かべるなどして詩歌管弦の遊びを行っておりました。
恒例となった五月の車折神社の「三船祭」は、大堰川での舟遊びを再現したものです。
『源氏物語』ゆかりの地として
「らんざん」は史跡名勝嵐山内にあり、源氏物語ゆかりの地として、京都市により説明板が設置されています。
『源氏物語』「松風」には明石上(あかしのうえ)が母の尼君、姫(光源氏との間の娘)とともに大堰に移り住む描写がありますが、その場所が「大井(堰)川のわたりにありける」とあることから、この居所の推定地の一つとして、平安時代前期の桓武天皇の大堰離宮(おおいのりきゅう)が挙げられます。
その近くには光源氏の御堂(現在の清凉寺付近)がありました。
『源氏物語』内、大堰の邸での出来事
明石より二条御殿に戻られた源氏の君。身分の差から光源氏とともに上洛する事を自重した明石上。
その後少し離れた大堰の邸に娘と移り住む事になりますが、后となる宿縁の姫に十分な教育を受けさせるべく幼い我が子を光源氏と紫の上に託し、幼い娘と離れる事となりました。
大浴場
ゆったりとした大浴場で、一日の疲れを癒してください。
〈営業時間:6:00〜9:30/15:00〜24:00〉
カラオケルーム
嵐山一帯が静けさに包まれる夜も楽しく演出する、カラオケルームを完備。ご宴会、ご会食の二次会にもぴったりです。
10名~ 25名でご利用できる、通信カラオケのお部屋をご用意しております。
娯楽室
小倉百人一首のかるた体験や史跡としての「らんざん」にまつわる資料を展示。
百人一首関連書籍、観光情報誌をご用意、歴史を感じながらくつろげるスペースです。
〈営業時間:15:00~23:00〉
お食事処「京雅」
四季折々の嵐山の景観を眺めながら、京料理をどうぞ。
ご宿泊のお客様のご夕食の他、ご昼食のみの営業もいたしております。お気軽にお召し上がりいただけるテーブル席と、グループの方にご利用いただける静かな離れがございます。